2013年10月22日火曜日

戦国小田原城の池はオシャレ

   きれいだ、というのが初めて見た時の印象。供養塔を素材に使っているからある種不気味さもただよう。現代アートを前にしたような斬新さすら感じた。これが小田原北条氏の庭か?

神奈川県の小田原城では現在、史跡公園として整備するため、御用米曲輪といわれる城の一部で発掘調査が続いている。そこからとんでもないものが現れた。

この曲輪では昨年から小田原北条氏の時代のものとみられる建物の礎石や庭園跡が出現して注目されている。今度は奇妙な姿の池跡が現れたのだ。 しかも池の周囲には石片が万遍なく敷きつめてある。

それだけでも珍しいのに、その石というのが五輪塔、宝篋印塔、宝塔といった中世の供養塔を使っていて、丸い部分は捨てて角材だけを再利用したものだ。 四角い石を敷き詰めた様は山下清画伯のちぎり紙細工を見る思いがする。しかも表面は緩やかにカーブしていてその姿はとても既存の日本庭園の規格に合うものではない。
何なのだこれ?


 
ゴロゴロと転がっている石は江戸時代に入って捨てられた石材




10月19日の土曜日。現地説明会が開催されたので出かけた。













池は小田原を代表する観光名所、小田原城の天守の北、今は消滅した鉄門(くろがねもん)に向かう登り坂の下に位置している。現在姿を見せているのは池の北側の半分に相当し、南側の半分はこの坂の下に埋まっていて、遺跡保護の観点からこの下を掘るのはむずかしいらしい。現在見える部分だけで池の周りは45メートルあるので、全部で70メートル以上の大きな池であろう、と想定されている。
このスロープが鉄門への登坂 天守は向かって右手上

朝10時 この日一番の説明会

黄色の線は池が作られた当時の境界線とみられるもの


説明会で展示されていたもので、作られた当時の池の形です。
方向が逆になっていますが、そのまま上げておきます。

池の深さは130センチ。石を張り付けた護岸の高さも同じですが、斜面の長さは240センチになるとのこと。石は地中に伸びている部分もある。

池の形はかなりのカーブを描いていて、円形に突き出た部分や、角ばって大きく切り込んだ部分もあって、ただの丸い池、長方形の池、とはまったく違います。いったいどんな形の池なのか、気になりますね。枯山水は似合いません。

発掘を担当した小田原市文化財課は使用した石塔は全部で2千個と見ていますが、どうやって集めたのか。今後の検討課題だそうです。また使用した角材はきれいに組み合わせるためにけずってあるそうです。
池の左上の穴は建物跡 池を望むテラスか

後に砂利を敷いたと見られるが時期は今のところは不明


石材の再利用といえば織田信長が安土城や二条城で墓石を使ったことで宗教観と絡めて論じられることがありますが、今回の発見は量といい規模といい、そうした見方を考え直すきっかけになるかもしれません。 

墓石?供養塔?そんなものを使ってバチがあたったらどうしよう?と考えるのは現代の話であって墓だろうが供養塔だろうが魂の抜けたものはただの石だ、使っちゃえ!と利便性と費用を最優先にして当たり前とする考えがあったのかもしれません。

そういえば城の石垣や建物も周りから調達した再利用品が多いですよね。そうではなくて、仏の怒りを十分想定したうえで供養塔を使ったとしたら・・・?ンーンそれもコワイ。

江戸時代に入って捨てられた石材をまとめて展示


御用米曲輪では現在も発掘が続いていて、その成果を取り入れながら11月23日、12月21日とさらに現地説明会を予定しています。それにしてもこれだけ素人目にも分かりやすい発掘成果はなかなかお目にかかれないのでは?小田原から目が離せません。

以下は今年の2月の現地説明会野の後に書いたものです。http://yorimichi2012.blogspot.jp/2013/02/blog-post_20.html