2013年1月3日木曜日

野沢温泉でゴクラク、ゴクラク

   能登の「時国家」からの帰り道、北信濃の野沢温泉に立ち寄った。(平成24年12月30日)長野県を通る時はかならず寄り道するお気に入りの湯で、外湯のひとつに寄ってしばし「極楽」気分に浸るだけのこともあるし、泊ってゆっくりすることもある。

   いつ来ても静かで、温泉にありがちな猥雑さがない。どこか農村の匂いがする野沢温泉が気に入っている。源泉で湯がドクドクと湧き出しているのが見えるし、その湯を使って近所の人が採れた野菜を洗っている姿が、生活の匂いがしてなんとも微笑ましい。



   ところが今度は何か雰囲気が違う。人が多いのだ。バスもたくさん停まっている。

    野沢温泉はスキー場としても有名で、年末の大雪でスキー客が大勢来ていることが分かった。バスが多くのスキー客を運んで来ているのだ。若い人のグループが多く、外国人客もあちこちで見かけた。




   そのため、いつもお世話になる駐車場はバス専用になっていて個人の車は止められなくなっている。2,3分走ったところに駐車場ができていたので、そこに3時間以内300円の料金で車を置いた。

駐車場もいっぱい
積もってますね



   野沢温泉のシンボル的な外湯「大湯」に入ろうとしたが、入り組んだ道を曲がり間違えて「麻釜湯」に出たので、そこに入ることにした。外湯は全部で13か所あり、湯の種類は源泉によって少しづつ違う。「麻釜湯」は源泉に一番近い。



誰もいないときにコッソリ




















   私が脱衣場に入ったすぐ後に2人連れが来て、3人で湯船にはいることになったが、3人ならゆったり、4人だったらちょっときついか?といったくらいの広さ。手を入れた時は熱すぎると思ったが、入っていると慣れてきて心地よい「熱め」。熱ければ水を足せばよいだけだが、せっかくのかけ流しがもったいないので出来れば水は足したくない。

   2人が早めに出たので、私一人で湯舟を独占することになった。もう充分温まったけど、出るのが惜しいほど気持ちがいい。

   源泉をそのまま使っていて、水を加えたり、循環したりせず、当然のことながら薬品類は使用していないのがうれしい。




街中たっぷりと水が流れている

   どれも小ぶりな湯船だが、地元の人がきれいに管理してくれているので、いつも気持ち良く入浴させてもらっている。「宿泊客は無料で日帰り客は心付けを」と張り紙してあるのがちょっと気になった。心付けは、ください、と言われてするものではないですよね。タダでお湯に入ろうとする人が多いのかな?

   温泉は泊るのもいいし、フラリと入ってもいい。「ゴクラク、ゴクラク!」を大切にしたい。

2013年1月2日水曜日

おばちゃんの力 輪島の朝市

 


   輪島をタダ通り過ぎるのはもったいない。輪島塗には手が出なくてもせめて朝市は覗きたい、と浜に近い大通りに向かった。「時国家」にたどり着く直前の話。(平成24年12月28日)


曽々木方面から見た輪島市街 


 

沖合に見える七ツ島  さらに沖に海女漁の舳倉島


   輪島には以前来たことがある。ずいぶん昔。いつだったか、思い出せない。30年前だったか、40年前だったか・・・。大した違いはないから考えるのをやめた。記憶の糸をあまり強くたぐり寄せると、余計な記憶までしゃしゃり出てくることがあるので、いい加減に止めたほうがいい。

輪島港に近い朝市通り

ここまで異質だと見ているうちに・・・ワルクない

きょうはもう店じまい


   街の雰囲気は変わらないが、道路や家並みがこざっぱりとしたように感じた。朝市も変わらない。前を通ると声をかけてくるが、以前もこんなに元気だったろうか。今、どこへ行っても店が直接声をかけることが少ないように思うけど、どうだろう?この積極性がかえって新鮮だった。

   ひときわ声の大きなおばちゃんの干物の店にひやかしで立ち止まってみた。

   「もうすぐ店閉めるからおまけだよ」と、カワハギ、サバ、フグ、もうひとつ知らない魚を全部で12匹ほどザルに入れて、「千円」。イシルの干物だった。イシルは能登の味で人気も高い。土産に買おうか?オマケの量に負けた。

   おばちゃんに「きょうすぐ食べませんが・・・。」と言ったら、しっかり氷を詰めてパックしてくれて、「残りは冷凍しておけるよ。」 とアドバイス。



サバ、イカで造った自家製イシルも販売
ここまでならタダの衝動買いだが・・・。

   家に帰って食べたら、これがウマイ!おばちゃんに電話してもっと郵送してもらおうか、と思案中。伝統の朝市、といっても今は観光半分。手ごろなお土産に、と軽く考えたのは浅はかだった。クセになりそう、といっても輪島は遠い!

   この朝市、ほぼ女性が店番をしている。しかも年配の人が多い。気温は0度ちかいというのに、冬場は閉める、というわけには・・・行かない、よね?

2013年1月1日火曜日

金沢城の鉢巻き石垣

   能登へ行くのに、まず加賀に入って北上するルートをとった。せっかく加賀を通るならせめて金沢城の石垣だけでも眼におさめて・・・と以下は「時国家」にたどり着く前の話。(平成24年12月27日)

   城のすぐ下を車で回っていると珍しい石垣が眼に入った。石垣の下にさらに石積みか?気になったので車を駐車場に停めて石川門から城の中に入り、ボランティアガイドさんを探した。


   どうやら土塁の上に石垣が載っている「鉢巻き石垣」を見たのでは、と言われた。その下にあった石積みは橋の土台らしい。土塁の上の石垣は江戸城にもあるが、金沢城にあったとは知らなかった。「橋」も初耳。確認しようと出かけた。


玉泉院丸の鉢巻き石垣  左側に橋の土台が見えている

玉泉院丸の鉢巻き石垣


   金沢城は高い石垣が周りを囲んでいて、特に本丸下の数段に分かれた高い石垣が印象的な、総石垣の城として知られているが、土塁とセットになったものがあるとは知らなかった。石垣の修復が進んでいて、これまで目に触れなかった形が見えてきたのかもしれない。





   「鉢巻き石垣」があるのは玉泉院丸という曲輪の外側で、かつては水堀に面していた所だ。なぜかここだけは土塁の上に石垣が続いている。

   玉泉院は金沢藩2代藩主前田利長(利家とまつの長男)の奥方で織田信長の四女、永姫の晩年の名前。利長は富山、高岡に住んでいたが、高岡で亡くなった後、永姫は金沢城に移ってこの曲輪で一生を終えている。

   織田信長の娘、ということで前田家では特に気を使ったようだ。玉泉院丸も意匠を凝らした石垣が発掘で姿を現している。ここだけ土塁を使っているのは何か理由があるのでしょうか?発掘調査はまだ続いているようだ。

左 出丸(現尾山神社)  右 玉泉院丸

橋の土台
玉泉院丸から堀を隔てて現在尾山神社となっている場所は実は出丸で、玉泉院丸からは橋でつながっていた。その橋の土台の石が道路からは別の石垣に見えたことが現地の案内板で分かった。

   この出丸や現在の兼六園を含めると、城郭としての規模は実は相当大きかったのでは?

本丸 南東部

本丸 南側

本丸 東側 堀を隔てた向こう側は兼六園

本丸 東側


石垣普請を担当した家臣の印



   玉泉院丸下から本丸下を回って石川門まで歩いたてみたが、高石垣は相変わらずきれいです。文禄期に着工された野面積みから慶長期の打ち込みハギまで広がる様は見事です。城の周囲3分の一ぐらいを歩いてみただけで、城の大きさが実感できます。大きいですね、この城。歩いて一周してみたくなりました。

   兼六園の周りも総石垣だ。きれいな庭園だけではなかったのかも・・・。城の発掘調査、いつまで続くのかな?楽しみです。