城主は内藤氏。甲斐と武蔵の間に位置していることから、武田家と北条家の間にあって終始微妙な戦略的バランスが要求されたらしい。最終的には小田原北条氏の一員として秀吉の小田原攻めで落城、廃城となった。
相模川の対岸(北)から見た城山 手前は津久井湖 (2012年4月撮影) |
朝の8時半。城山を管理するパークセンターの人たちがまだ朝の体操をしている脇を通りすぎ、簡単な資料をもらって城跡に向かった。根小屋地区からまっすぐ山城エリアに向かう登り道はやや傾斜のきつい「男道」と緩やかだが長い「女道」がある。きょうは「女道」をゆっくり歩いた。城山の南側にある根小屋地区から山をぐるりと回って北側の相模湖側から城に入る道で、長い。20分くらいはかかる。
根小屋のある城山の南斜面 |
私は竪掘(たてぼり)を探しながら歩いたので、さらに時間がかかった。山を回る道なので、頂上部分から落ちてくる竪掘を横切る形になるので見つけやすい。草木が育つシーズンなのでこまかい地形が見えにくくなってはいるけど、じっと眺めていると堀の窪みが見えてくる。
日曜の朝とはいえさすが山城を歩く人は少ないだろう、と思ったら大まちがい。散歩する人がかなりいるのだ。静かな湖畔の住宅地に車でやってくる人も結構いるようだ。城というより自然を重宝する人たちと見受ける。
「男道」も「女道」も公園として整備する時につけた道だと思うが、ちょっと草の生い茂った斜面に足を踏み入れると、曲がりくねった細い道が残っている。根小屋地区と山頂部を結んだ往時の通路か、と道なりに歩きながらしばし想像の世界に遊ぶ。山城歩きの面白いところは想像の羽を広げられることです。ここはたっぷり遊ばせてくれます。
「女道」をそれた斜面 けもの道?大手道? |
「女道」から見上げた竪掘 |
広い山のなかに丁寧な道案内が立っていて、まず道に迷うことはない。植物や動物を紹介する中にヘビの説明があった。かなり棲息しているらしいが「ヘビは元来人に害を与えるものではありません。怖がらずにそっとしておいて。」といった意味の文面にうれしくなった。どこの山へ行っても毒々しく『マムシ注意!』と書いた看板が目についてやたら恐怖心をあおるのに、ここはヘビとの共存を勧めている。マムシが棲息していないからかもしれないが、パークセンターの自然に対する姿勢をみた気がした。「ヘビがどうしても動いてくれなかったらこの番号に連絡を。」 優しいですね。
出ました、さっそく。
本城(主郭)を取りまく土塁の上を歩いていると太い尻尾がうねります。私が近づいてもガンとして動きません。「そっとしておいて」という文面が目に浮かび、引き返しました。日向ぼっこを邪魔しても悪いし。
本城(主郭)曲輪に残る土塁 |
米蔵があった曲輪へのこれは虎口? |
本城への登り口の堀切 両側に縦掘が下る |
木々の緑の間からわずかに見える津久井湖 |
本城曲輪に近い太鼓曲輪から直下の家老屋敷跡を見降ろす |
本城と並んでもう一つの中心、飯縄(いいづな)曲輪に向かう。本城を下ってすぐ、大きな堀切がたのもしい。飯縄曲輪は数個の曲輪が固まっているが、その外側に巨大な杉の木が立っていて案内板には樹齢900年と書いてある。900年前といえば西暦1100年ごろ。京の都がまもなく保元、平治の乱に巻き込まれるころ。平清盛の時代からこの杉はここに立っているのですね。
わかるなあ この気持ち |
飯縄曲輪に残る土塁 この上に飯縄神社 |
ところで6月23日はすぐ近くの八王子城が同じく1590年に落城した日で、二日後の6月25日にこの津久井城も落城している。大きな戦闘はなかったと伝えられている。そういう場合は「開城」というのが正しいらしい。
小田原北条氏が滅び、関東の多くが徳川家の直轄領となり、この津久井も城は取り壊されて内藤氏の館跡に代官の陣屋が置かれて明治まで続いた。その陣屋があった広場でこの日、第423回津久井城開城記念、と銘打ったお祭りが行われ、戦国時代の衣装をまとったボランティアによる「甲冑劇」が上演された。
城主の館跡 背後は城山 |
こうして津久井城は武田勢を押し返した |
423回というのは「開城」した1590年から423年目という意味で、祭は昨年始まって今年が二回目、。この日の演目はオリジナルで、1524年津久井城を攻める武田信玄の父、武田信虎と城を守りぬいた城主内藤朝行(ともゆき)との合戦をテーマにしたものだ。
甲冑劇は今やいろいろな場所で演じられるようになりましたが、本物の城跡で演じるのはあまりないようです。時代物の上演には贅沢な舞台ですね。ホンモノですから。ところで昨年撮った写真の一枚に、見知らぬ人の姿が映っていたそうです。見なれた場所でなつかしい光景を眼にして400年を越えて出てきた?真偽の詮索はしないことにしています。
追記:飯縄曲輪下の樹齢900年の大杉は8月11日、落雷のため炎上、消失しました。惜しいことをしました。(平成25年8月16日 記)
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