大手道だけ見に行く、というのはあまりやったことがない、というより始めてです。実は金山城では平成21年度から大手道の発掘を続けていてその年の成果を毎回この時期にお披露目してくれるのです。
これまで大手道に沿って石造りの側溝が発見されて話題を呼びました。金山城に登ってブルーシートを目にするたびに気になっていました。あの下に何があるのだろう?
今年はどんな発見があったのでしょうか。3月8日日曜、こぬか雨。「午後は曇り」の予報を信じて出かけました。
中央やや右にオレンジ色で書き込んだ線が大手道 当日もらったパンフレット |
金山城は金山(標高239メートル)頂上に曲輪が広がる山城です。築城は15世紀半ば、と見られています。関東のめまぐるしい戦国時代を通して城主は何回か替わりましたが、最後は小田原北条氏の城となり、秀吉の小田原攻撃とともに城としての役割を終えました。現在の遺構はもちろん北条氏の時代のものです。
金山城は何と言っても関東では珍しい総石垣の城として知られています。しかもただの石垣ではなくて見た目の美しさ、圧倒するくらいの豪華なレイアウトが城好きの間で突出した人気を誇っています。石垣の復元部分のきれいすぎる感じが個人的には気になります。かつてはもう少し荒削りな感じがあったのでは、と想像しています。大手道の門跡に出現した石垣にはそんな感じがにじんでいます。
当日もらったパンフレット 黄色が大手門跡 うすいブルーが今回の発掘 ピンクは門の跡です。 |
大手道は山頂曲輪群の大手門跡から山麓にあるガイダンス施設まで下っています。この大手道、下から上がって来ると城に入る前に大きなお椀の中に入るような形になります。前後左右からピタリと鉄砲なり矢で狙われる、怖い場所です。このお椀の中の部分がこれまで調査してきた大手道です。
門に入ってすぐ目に入る光景 |
側溝は水はけのため、と見られていますが、ちょうどこの日雨が降ったのでその効能がよく分かりました。写真は雨が上がってから撮ったので水の勢いは捉えられませんでしたが、あちこちに溜まった水である程度は想像できます。山全体が岩塊なのでもともと水はけは良くありません。雨が降ったら川のように水が流れます。
城自体が巨大な岩盤上に造られているだけでなく、石垣に使用した石材も足元の岩盤から削り取ったものです。そういえば城域のあちこちに岩肌が露出しています。石を削り取ったあとも見えています。大手道に沿った側溝も石造りというよりは岩盤を削って造ったものなのです。これまであまり意識しませんでしたが、こうやって眺めると金山城は巨大な石塊を彫ったり切り取ったりして造った「石の城」に見えてきました。
礎石上には何らかの建物があった、と見られる 左隅の石列は門の跡か |
同じ場所を上方から見る 右側の石垣の上が地表面 石垣は当時のもの |
こんな門と建物があったのでは、と考えています。 |
想像図の右下に注意 側溝をたどって人が入り込めないようにしたのでは? |
今後も発掘は麓のガイダンス施設まで続け、大手道の正確な場所、形態を調べるそうです。その大手道を歩くことはかなわなくても、せめて沿って登ってみたい。金山城は車で簡単に城の中枢に行けるし、トイレ付きの立派な駐車場まで完備しています。どうしても車に頼ってしまいますが、山城はやっぱり歩いて登りたいですね。
岩肌を削った水路 左側は土塁 |
何らかの理由で水路の変更があったようだ |
左に崖、右に石積み この間のスペースが歩道と見られている 右下に水路 |
発掘現場には夢があります。これまでの見方を大きく変えるような発見がいつもあるとは限りませんが、新しい歴史解釈のプロセスに参加している気になるのが嬉しい。
解釈が変わる、といえば金山城はかつては朝鮮式と見られたことがあったそうです。関東には珍しい総石垣の城だったせいでしょうか。しかし発掘が進んだ結果、現場にいた文化財課の担当者によると、そういう見方は今はしないそうです。
石垣の下を支えるアゴ止め石 |
右手に露出した岩盤 |
自然の岩盤と人口の石垣の共存 |
日本の石垣はきれいな勾配が特徴なのに、金山城の石垣はほぼ垂直に近い積み方なので、朝鮮式に見えたのでしょうか?金山城と八王子城の石垣にしか見られないという「アゴ止め石」も教えてもらいました。この二つに共通しているのは小田原北条氏の城であった、ということ。見た目は違っていても共通の築城技術なり、あったのでしょうか。それともただの偶然?
大手ルートを求めてさらに発掘は続きます |