スンチョンからクァンジュ(光州)は近い。バスで6400ウォン(およそ500円)、1時間半ぐらいだ。
光州といってもピンと来ない人が多いかもしれない。パク・チョンヒ(朴正煕)大統領が暗殺されたあと、1980年に自由化を求めて立ち上がった民衆を政府が弾圧、多数の犠牲を出した、いわゆる「光州事件」で有名な、あの光州市のことだ。そもそも事件を覚えている人自体、今は少なくなったかもしれない。当時は野党のリーダーで後に大統領になった金大中氏が、暴動を背後で引き起こしたとして死刑判決を受けている。
人口150万になろうとする大都市のざわめきに、当時を偲ぶことはできない。
ここに倭城はない。私が見たかったのは光州市郊外にあるチャンゴ古墳だ。
公園の案内 |
日本独自の古墳として私たちには馴染みの深い前方後円墳が、光州市を流れるヨンサンガン(栄山江)という川の流域を中心に、韓国で現在13期発見されている。ただ地元では「前方後円墳」と言わずに、チャンゴという打楽器に似ていることからチャンゴ古墳と呼んでいる。
光州市月桂洞の繁華街 |
一号墳 |
2号墳から見た1号墳 |
作られたのは6世紀初めで、前方後円墳としては後期にあたる。
2号墳 |
これをめぐって日本と韓国の研究者の意見は多様で、統一された方向性は出ていないようだ。倭人の墓なら、誇示するだけの権力を持った倭人、とは一体どういう人なのか?百済なり、伽耶なり、当時の朝鮮半島の住民だったとするなら、埋葬方式を真似るほど倭の影響が広まっていたということか?
倭人であってもヤマト朝廷とは関係のない、地方の豪族とつながった人であったかもしれない。倭人=日本人ではなく、九州とか対馬とか、限定された地域を指すことばだったかもしれない。
現代の「考え方」で過去を見て、見えなくなっていることはないだろうか?考古学的調査の解釈にいろいろな意味で「現代」がしゃしゃり出すぎていないだろうか?
3~6世紀は今とは大きく異なった世界であったはずだ。できる限りその当時の目で見なければ、何も見えてこないだろう。パスポートのなかった時代をその時代の心で振り返ることのできる日が早く来て欲しい。
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