一回で全部見ることが出来ないくらい広く分布しているが、八王子城に何回か足を運んでもどういうわけかこれまで見る機会がなかった遺構がある。用途、目的が不明で「謎の」と枕詞をつけられることが多い「水路状敷石」だ。険しい斜面にあってアクセスが容易でないのと、グループで動く場合はすでに痛みが激しい遺構をさらに傷つけないように、との配慮もある。
でもどうしても見てみたい。縄張り図を頼りに「水路状敷石遺構」を目指した。
崩れた水口 |
場所は深沢山の山上に広がる曲輪群のやや下、ちょうど無名曲輪の下あたりだが、無名曲輪からだとほぼ直角に落ちる崖を降りなければならない。そのため御主殿から一歩奥に周りこんだ沢をたどって下から登ることにした。沢といってもほとんど水が流れていないがこの沢には水口遺構が2か所残っていて、ひとつは破壊されているものの原形をとどめている。もう一つはほぼ完全に残っている。
水路状敷石はこの水口と関連する遺構と思われるが、確証はない。そもそも沢は城内にいくつも見られるが水口状の遺構を備えているのはここだけのようだ。
ほぼ完全な2個目の水口遺構は一個目を20メートルくらい登ったところにある。
ダム状の石積みか? |
面白いことにその上流にも崩れた石積みを思わせる形骸が数か所ある。これも水口か?水はチョロチョロとわずかに見える程度。傾斜は45度くらい、かなり険しい。
石がごろごろしていて歩きづらい。私は登山靴を装備して来たので足場は心配ないが、普通のスニーカーなら足を痛めるかもしれない。一か所どうしても足をかける場所が見つからず、しばし空を見上げてため息をついたが、ロープが張ってあるのを見つけ、ロープと脇にあったツタにつかまって岩場をよじ登った。
二番目の水口から25分くらいで水路状敷石にたどり着いた。
敷石はストンと途切れた断面を見せているのをみると、もっと下流に延びていたのが壊れてしまったようにも見える。ダム状の石積みがあったが崩壊したのかもしれない。
弓なりにたわむ水路状の敷石 |
敷石のサイドは盛り上がっているように見えるが・・・ |
敷石は幅1メートル50~70くらいで、緩い円弧の底の形をしている。枯葉が多くて初めは石敷の様子がよく見えなかったが手で枯葉をよけるときれいに石の敷かれた様子が見えてきた。
敷石はそのままおよそ20メートルぐらい緩い傾斜を登って、土留めと思われる石積みに突き当たっている。この石積みに水口はない。無名曲輪は縄張り図によるとさらにこの上になるはずだが、何も見えない。ただ上方に覆いかぶさる木々の繁みの背後が明るいので頂上が近いとわかる。
この地点からの傾斜は50度ぐらいだろうか。直角に近い。見上げると後ろにひっくり返りそうになる。ロープが下がっていないところを見ると無名曲輪から下りてくる人はやはりいないと見える。
水を流すため、としか思えない敷石だが、どこから水が来るのかは不明。大雨が降った時を想定しているのか?どうしてここにだけ造ったのだろうか?水の量ならここよりもっと多い沢もあるようだが?
戦国末期、北条氏照が造ったものか、後世に加えられたものか・・・。水路としか見えない敷石だが、この深さだとチョロチョロした水しか流せない。やはり「謎」というしかない。それにしても、あちこちにめくれた石が転がって遺構としては崩壊の兆しが痛ましい。八王子城の石積みには得がたい味がある。なんとか打つ手はないものか。
忽然と山中に現れる石造りの遺構にあれやこれや想像をめぐらせながら下る道は早かった。20分ぐらいで下の渓流に着いた。
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