12月10日(火曜) 遅めの午後
再利用されたチャソンデ(子城台)倭城
プサン倭城に別れを告げ、急な階段をいくつか下って地下鉄チャッチョン(佐川)駅の上の大通りを横切ると、周りより頭ひとつ高い「チャソンデ(子城台)公園」が見えてきます。
平地にあるこの城と山上にあるプサン倭城が対になって使用されたとみられますが、役割は明確ではありません。築城は文禄2年、毛利秀元らによる、とみられています。築城された時は海のすぐそばでしたが、近代になって海岸線が埋め立てられ現在は港からかなり内陸に位置しています。
左上のX印 左がプサン倭城、右がチャソンデ倭城 プサン駅の観光案内所でもらった観光地図 |
また秀吉軍が撤退した後、朝鮮水軍が引き続き使用しています。九大「倭城祉図」には周囲を石塁に取り巻かれたチャソンデ倭城が描かれていますが、この石塁は今は消滅しています。倭城のものか朝鮮水軍が追加したものか意見は分かれているようです。
現在、この公園を整備して歴史公園に作り替えていますが、倭城ではなく朝鮮水軍の城としてとらえています。また朝鮮王朝が江戸幕府に送った朝鮮通信使がここにあった施設から船出した史実を踏まえて、朝鮮通信使記念館も併設されています。私も覗いてみましたが、まだ新しいせいか人の姿は見えませんでした。ひょっとしてまだ公式にオープンしていないのかもしれません。
朝鮮通信使記念館 左の森はチャソンデ倭城 |
公園には倭城遺構がそのまま残っているので日本の戦国時代の城の面影は十分に見られます。倭城であったことは案内板に表記されています。
入り口こそどこにでもある公園ですが、しばらく階段を上ると突然日本の石垣が現れます。この虎口と搦め手の虎口は比較的原型をとどめているように思えます。また主郭の内部はすっかり韓国化していますが、まわりの高石垣は信じられないくらい崩壊を免れています。見る価値はあると思います。コンクリートで固めたところは・・・ちょっと目をつむりましょう。
北側の虎口 |
南側の虎口 |
九大「倭城祉図」に描かれたプサン倭城(左)とチャソンデ倭城(右) |
チャソンデ倭城の拡大図 黄色い線の内部だけが今も残っている。 |
石垣は4~5メートルと高い。最高10メートル。 |
主郭の石垣と周回する散歩道 |
ちょっと気になりますが・・・。 |
寒さより健康 |
主郭 |
主郭 |
ジョギング中のおじさん、おばさんに交じって周回路を回ると、ここはほんとに韓国なのだろうか、と不思議な気持ちになるほど織豊の城が匂います。
登り石垣の一部とみられる遺構も残っています。主郭部分の周りを高石垣が回っていましたが、今は主郭部以外はきれいになくなっています。周りに二の丸があったことも九大図でわかっています。まわりの住宅地を丹念に探せば居住地なり石垣の遺構がまだ残っているかもしれませんね。
寸断された登り石垣 |
下から見るとつなぎ目がよくわかります。 |
朝鮮通信使記念館を建設するために2009年に城跡の南側で遺構の発掘調査が行われました。発見された石垣の下にさらに石積みが出て、倭城は築城のすぐ後に大きく改造されていることがわかりました。南側にも登り石垣があったことがわかりました。また朝鮮水軍の石積みが出土しなかったことから朝鮮水軍は秀吉軍撤退の後、石塁も含めて倭城をそのまま使った可能性も指摘されています。
新たな発掘があればさらに新しい発見に続くかもしれませんが、主郭を取り囲む高石垣を見るだけでも当時に思いをはせることはできます。この城も消失した部分は多いものの残っているものも少なくありません。山上のプサン倭城だけでも広大な敷地を占め、石垣で固めた城郭で武力と権力を
見せつけていただろうことは容易に推察できます。さらに港に面したチャソンデ倭城を併設することで水軍の機動性は高まったことでしょう。
ところであまり知られていませんが、7年間の占領期間中、倭城の周辺で近隣住民との交流があったことが朝鮮王朝の公式記録『宣祖実録』に載っているそうです。(中西豪「朝鮮側資料に見る倭城」朝鮮学報125, 1987)
プサンは特に倭城周辺の賑わいが著しく、日本軍の近くにすむ朝鮮人は300戸を超えたそうです。さらにひんぱんに市が開かれ地元の朝鮮人が日本人と入り混じって交易していた様子が描かれています。戦は戦、日々の糧を得ようと生活する一般市民の力強い姿勢が見えてきます。山上のプサン倭城、海に近いチャソンデ倭城をとりまくあたりに一種の城下町的な発展が見られたようです。
韓国料理に欠かせない唐辛子は秀吉軍がこの時に持ち込んだ、と韓国では考えているそうです。知り合いの韓国人から聞きました。それまでの料理に唐辛子が使われなかったのがその理由のひとつ。「城下」での交流で伝わったのでしょうか。
ここはプサン駅から地下鉄で3つ目、新しいプサンの繁華街ソミョン(西面)からも3つ目です。
昔も今もプサンのど真ん中と言っていい場所です。日本からプサンに観光に行く人は多いでしょうが、こんな近くに日本の城が息づいていると知ったら驚くでしょう。
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