平成28年3月15日(火)
求礼(クレ)から2時間半バスに揺られて入った釜山(プサン)なので、翌日はゆっくり起きた。
全州(チョンジュ)も南原(ナムウォン)も初めての街だったので、それなりの緊張があった。こんどは縄張り図がなくても案内板がなくても歩いて回れるような、良く知った城跡を歩きたい。
亀浦(クッポ)倭城はそんな弱気な心情にシッカリ応えてくれた。
クッポ倭城はプサンの郊外だけど中心部からのアクセスが良く、地下鉄の駅から歩いて行けるのがいい。何度も足を運んでいるので気が楽な上、なつかしさすら感じる。
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高速道路の向かい側が城跡 |
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新しい標識も立っています。 |
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プサン市による案内板 |
地下鉄2号線『徳川駅』を出ると5,6分ぐらいだろうか。駅名がトクガワで覚えやすいけど韓国語読みは
トクチョンと言う。巨大な川、洛東江(ナクトンガン)に面した小山に造られた平山城です。文禄の役が始まって早々に
小早川隆景、立花宗茂により築城され、
黒田長政親子が長く在城した後、慶長の役後半に廃棄された。ナクトンガンの水運を押さえる役目を担った、と考えるのが自然な位置に置かれています。河の対岸、金海(キメ)寄りに竹島(チュクト)倭城、ナクトンガンに沿った上流に梁山(ヤンサン)倭城があって、プサンの沿岸部から水路で内陸に向かう要をしっかりと押さえている。
現在は市民の憩いの公園になっていて、散歩する人、ジョギングする人、思索にふける人、思い思いの使い方をしています。壬申倭乱(イムジンウェラン、韓国で『文禄の役』のことを指し、「諸悪の根源」みたいにたいそう悪い意味で使われることば。)の際に建てられた日本式城郭の遺構であることは案内板にはっきり書いてありますが、あまり気にしていないようです。プサン広域市は「歴史的な価値を有する遺跡」と認定していて保護の対象となっています。
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搦め手側から見上げた城跡 |
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主郭と取り巻く石垣 南側 |
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搦め手からの虎口はかなり崩れています。 |
山城は別として現在日本に残る城郭はほとんどが江戸時代に手が加えられているため、戦国時代の城郭はなかなか目にする機会がありません。それに対し韓半島に残る、文禄・慶長の役の際に築城されたこうした『倭城』は廃棄された当時の形状をかなり留めています。そのため戦国時代末期の石垣が全国的に広まる時期の城郭がしのばれる貴重な歴史遺産です。
地方自治体が保護の対象にしている倭城もありますが、朽ちるに任せたまま打ち捨てられている状態のものもあります。石垣の修復など積極的な対策を講じている自治体もありますが、城郭全体にまでは手が回らず、主要な曲輪群だけをかろうじて保護しているのがほとんどです。クッポ倭城も主郭以外の曲輪は雑草が繁茂して荒れるか、墓地に利用されていました。
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主郭北側の石垣 |
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主郭南側 |
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搦め手(左)からの虎口 |
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石垣は良く残っている 特に主郭の周りはほぼ完全 高さ3~5メートル |
手を加えてくれるのはうれしいことですが、石垣をコンクリートで固めるようなことだけはやめて欲しいですね。クッポ倭城は石垣を多用していて高さもあります。今は地元で有名なお寺が一部の曲輪に建っていて、石垣が多く残る曲輪と、お寺になっている曲輪と、畑になっている曲輪と公園になっている場所が混然一体となっています。墓はかなり整理されたようで、公園化はかなり進んでいると言えそうです。
公園整備が進むのは好ましい傾向ですが、通路にあった石垣が消えてしまったのには驚きました。すでにかなり手が加えられている場所ではありましたが、なくなったのを見るとなぜか寂しい。石垣はこうやって消えて行くのでしょうねぇ。2年前には雑草におおわれて地面が見えなかった帯曲輪はすっかり除草が進んでちょっとした運動場に姿を変えています。
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搦め手側に残る堀切 左上から右下に掛けての緑の帯 |
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草が枯れて見えて来た竪堀 |
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リスは初めてみました。 |
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城跡の西側に流れるナクトン河 写真の前方もう少し行くとプサンの金海空港がある。 |
木々の葉がすっかり落ちた季節なので、秋には見つけられなかった堀切がはっきり見えただけでなく、隠れていた石積みが観察できて幸運でした。倭城で特徴的なのは竪堀や堀切、土塁、空堀とかなり高い石垣が共存していることです。日本の山城ではなかなか見られないことではないでしょうか。城の時代的な変遷を見せてくれるようで倭城見学の楽しみのひとつです。
木の葉が音を遮らないので、城のすぐ隣を走る高速道路の騒音が曲輪に直接届くのがやや気になりました。かつては巨大な河を望む静かな山野だったであろう丘の上は、列車、地下鉄、高速道路が縦横に走る都会のど真ん中になってしまっていることをまざまざと感じさせます。それでも、まあ、韓国第二の都市にしては静かです。小鳥のさえずりも聞こえますから。
クッポ倭城については以前にも書いています。参考までにー。
http://yorimichi2012.blogspot.jp/2012/11/blog-post_18.html
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