八王子城址(東京都八王子市)で発掘が進められている「御主殿」跡で、会所のすぐ横の建物跡で火を燃やした炉と思われる石組が確認されたことで、浴室か台所だったのでは、と見られている。11月9日から八王子市文化財課が発掘調査を続けてきて、28日に現場説明会が開催された。
御主殿、会所跡ではこれまで礎石の他、庭園跡、通路の石敷き等が発掘されていますが、今回は会所横に存在が確認されている建物の用途確認のため, 7年ぶりの発掘調査が行われました。
出土した5個の礎石 |
建物の敷石は5個 発見され、1個欠けていることが分かりました。なくなった経緯は不明です。横3メートル、縦4メートルの建物のほぼ中央に石が何個か固まって置かれていて、石と土には熱に晒された跡があることから恐らくこの場所で火を燃やした、と見られています。ではどんな建物だったのでしょうか?
会所のすぐ近くにあることから、客人用の浴室、あるいは台所だった可能性が考えられます。しかし断定するまでには至っていません。またこの建物へと続く石敷きの通路も発掘されています。
建物は1590年7月、ご主殿や会所と同時に、豊臣秀吉軍による襲撃時に燃え落ちたと見られます。現場の土や石に残る火勢による影響から推し量ると、建物は完全に燃え尽きる前に横に崩れ落ちた、と見られます。
建物が崩れ落ちたとみられる南側 土に焼け跡 |
敷石上に燃えた柱の後が残ってはいますが、色が薄いことと、建物の外、南側の土が赤茶けた焼土となっているからです。この部分に建物が崩れ落ち、そこで燃え尽きた際の熱によるものと見られます。
そういえば8年前の御主殿の発掘の際、敷石のいくつかに焦げた柱の跡がくっきりと残っていたことを思い出します。あれだけはっきりとした柱の焦げ跡は今回、見つかりませんでした。
柱の燃え跡が明瞭に残る御主殿の敷石 2013年 |
鉄製の火縄銃の弾、通貨、供出された半鐘の一部等が出土 |
ご主殿跡のさらに奥(西側)には城主の生活の場と見られる建物の存在が想定されるほか、搦め手側もまだ調査されていません。今回の発掘がさらにこれからの調査拡大に結び付いて欲しいですね。
0 件のコメント:
コメントを投稿