セスペデス神父への微妙な感情
ウンチョン(熊川)倭城に小西行長が滞在していた1593年、行長を始め宋義智などウンチョンに集中していたクリスチャン武将のために日本からセスペデス神父が海を渡り、山頂の城郭内に滞在してミサを執り行ったことは、11月14日に触れた。
韓国でカトリックのミサが初めて行われた神聖な場所として、現地の教会がウンチョン倭城でミサを行っていることについて、教会の神父さんがメールで説明してくれた。
主郭に置かれた机 後ろは天守台 |
セスペデス神父を偲ぶミサは今年で4回目、10月20日に予定していたが天気が悪いために倭城ではなく教会で行ったそうだ。私がウンチョンに行ったのが10月13日だから一週間後に予定していたのだ。主郭内にカバーのかかった机があったが、あれがミサの準備だったのかもしれない。
小西行長がクリスチャンであったことはよく知っている、という。慶長の役が終わって日本に渡った朝鮮人でクリスチャンになった人も多かったようだ。
しかし、朝鮮半島初のカトリック ミサといえども戦争中のことであり、しかも戦争を仕掛けた国の武将のために行ったのなら、それは日本の話、という気持ちがあって感情的にしっくりしないものがないことはない、ときわめて分かりやすい。
この点については今後の歴史研究に期待したい、と結んであった。
日本に渡った朝鮮人とカトリックとの結びつきについて、私は詳しく知らない。これから注意して見てみようと思う。ひょっとしてセスペデス神父は現地でも布教をした、と地元に古い言い伝えでもないか期待したが叶わなかった。
セスペデス神父を乗せてウンチョンに到着した和船の模型 |
左はウンチョン倭城 チネ博物館の展示(10月12日撮影) |
倭城と近隣の住民との接触はどんなものだったのだろうか?戦争という非常時でも民間の交流はあるものだ。
朝鮮半島にはこの時、日本からトウガラシが入っていて、トウガラシはその後の朝鮮にはなくてはならないものになったのは周知の事実。日本にポルトガルからトウガラシが入ったのもそれほど前のことではない。文化の伝播は思いのほか早い。
さて、キリスト教だが・・・これからの研究に期待するしか、ないか?
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