クッポ倭城は地下鉄の駅から近いわりに静かで、中世城郭の形と面影を今も偲ぶことができる。癒やされるかどうかはまったく個人的なことで、押しつけるつもりはもちろんない。
すぐ下を高速道路が走っていても、隣で工事用のクレーンが作動していても、絶えることなく都会の騒音が低く聞こえていても、山頂に広がる曲輪にはキジが遊び、カチガラスがさえずり、行くたびにどういうわけか周りとは隔絶された空間が広がって、時代を越えて孤独にひたれる場所だ。
帯曲輪から主郭を見上げる |
大手(左)を入ってすぐの帯曲輪 |
近所の女性が料理用にドングリを取りに来ていた |
主郭 天守の遺構はない 手前の盛り上がりは墓 |
主郭(右)とその周りを取り巻く帯曲輪 |
石垣フェチの私には何よりも石垣が心にしみる。無条件にきれいだ。何度も来ようとするのは心の高まりを確認するためかもしれない。
プサン城やトンネ城から山並みを越えたナクトンガン(洛同江)を見下ろす丘陵の突端にある。文禄の役が始まって間もない1592年に小早川隆景、立花宗茂によって築城された。その後一旦廃城になったが、慶長の役が始まって黒田長政が近くのヤンサン(梁山)城から移って再び使用されるようになった。しかし間もなく黒田長政もさらにソセンポ(西生浦)に移ったために、その時点で廃城になった、と見られるナクトンガンの対面、やや南にある金海竹城倭城の支城としての役割を担った、と見られている。
城郭談話会の堀口健弐さん作成の縄張り図を使わせてもらった。 倭城研究シンポジウムⅡから複製、加筆 |
①主郭 ②薬師如来像 ③緑色で囲った部分がお寺の境内 ④道路に「クッポ倭城」の案内 史跡への入口 ⑤大手と考えられる虎口 斜面を下ったところにも石敷の遺構があるが、現在立ち入り禁止 ⑥かなり埋まっているが堀切が残る ⑦ベンチ、ブランコなどがある小さな公園 周りの石垣がよく見える
現在はクリョンサ(九龍寺)という仏教の寺が城郭の中に建っていて、本堂の一段上の曲輪に立つ薬師如来像にはお詣りに来る人が多い。
地下鉄2号線トクチョン(徳川)駅を降りて川沿いの大きな道を4、5分北に向かい、高速10号線の下をくぐってすぐ右側の九龍寺を過ぎて100mほど行くと、城址への案内と登り口がある。
薬師如来像 2011年3月撮影 |
史跡としての「クッポ倭城」の公式な入口だが、私は最近お寺の境内を通って城跡に登る道が気に入っている。私も仏教徒であり、薬師如来なら昔から慣れ親しんだ仏像である。仏の世界から戦国の世界へ入るのに違和感はない。
主郭の2段したの曲輪 歩測できないので視覚で |
右奥に主郭 その下の曲輪への虎口 畑に利用されている |
この石はまさか・・・やっぱり |
縄張り図⑥の堀切 2011年3月撮影 |
ナクトンガンを写せるのは天気次第 前方左に金海空港 2011年3月撮影 |
廃城の後、お寺なり畑なり墓地として、地元のお百姓さんが城の形を壊すことなく使ってくれたおかげで曲輪なり竪堀なり石垣がそのまま残った、と私は思う。その他はトンネ城にしろプサン城にしろプサン支城にしろ、公園として石垣の一部は残ったとしても城の形は失われてしまった。プサンのお百姓さん、ありがとう、と声を大にして叫びたい。
この日は今回の韓国滞在最後の日で、この後すぐプサンの金海空港から成田に向かうことになっているので薬師如来に軽くご挨拶して、急ぎ足で回った。
亀浦倭城の曲輪が畑化されたのは、実はここ数年来のことなんですよ!
返信削除私が初めて訪れた1990年代は、曲輪は何も無い広場でベンチが置かれていました。それを近隣農民が不法占拠して、勝手に耕作地化してしまったのです。その証拠に、現在では野菜畑の真ん中にベンチがある“珍百景”が広がっています。
城跡に釜山市当局が立てた看板にも、「ここは市史跡なので不法占拠を禁じる」旨が書かれています。
驚きました。何もなかった頃に見たかったです。ひょっとして週末だけ畑仕事に精をだす人たちかもしれません。最近多いようですから。
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