2021年4月13日火曜日

沖縄の戦国時代⑦ 土づくりのグスク

これまでご紹介したグスクは世界遺産に登録されていたり、日本100名城、続日本100名城になっているのでアクセスも比較的容易で資料館や観光施設が併設されていますが、これからご紹介するグスクは国指定史跡であっても設備が整っていない場合が多いので実際に行く場合は充分調べて行かれることをお勧めします。


さて、どんなグスクもみんな石垣で出来ているわけではありません。中には土で出来たグスクもあります。本土の山城に多いあの「土」で出来た城と同じように、堀や 盛り土を使うもので、奄美諸島から沖縄本島の北方に多く見られるそうです。

 佐敷(さしき)グスク

沖縄本島の南部で知られているのは『佐敷(さしき)グスク』。これは北山、中山、南山が覇を競い合っていた沖縄を統一した尚巴志(しょうはし)が幼少の頃住んでいたと伝えられる城跡です。現地に簡潔な案内板がありました。


本島南部、中城湾に臨む南城市佐敷の丘陵地帯(比高50メートル)に位置していて、地図で見ると知念半島のちょうど首根っこのあたりになります。

北側に広がる佐敷の海 真向いは馬天港か



いちばん広い郭

緩い傾斜地に曲輪状の平場が点在していて、一段と高い位置の平場には神社の祠のような建物が陣座し、そこに向かってかなり長い石段が登っている。神社だと思ったのは実はこの石段のせいで、実際は何なのかは残念ながら判別できませんでした。           
  
階段を登った先の主郭には祠
    

石段の麓は恐らく一番広い平場のようで、祠のある場所が本郭なら、麓の平場は二の郭でしょうか?

一ヶ所興味深い個所がありました。一番広い曲輪に接続している平場から外に向かって下る竪堀状の通路らしきものが見えました。草が深いので歩いて下るのは止めましたが、自然な地形にしては幅がほぼ一定(1メートル50程度)で、ほぼ直線に近く、かなり先まで続いているのが見えたので、人の手が加わったものでは?と感じました。           

まっすぐ下方に続く堀状の通路?


低い段差に石敷き?

しかも足元には石敷きのように石が並んでいて、何かしら虎口のような役割を担った場所ではないか?と想像を楽しむこともできました。とは言いながら、数百年前の石敷きが今まで残っているだろうか、とも思われ、やはりもっと時代が下って造られたものの可能性が大きいかな等々、あれやこれや思い切り空想を楽しみました。

尾根の先(左)が佐敷グスク 道路は堀切の跡?



名護グスク

もう一つ紹介したいのは『名護グスク』で、沖縄本島のちょうど真ん中あたり、名護市を見下ろす標高106メートルの山上に造られています。東シナ海に突き出る形の半島の付け根付近で、この半島の先端にあるのが今帰仁グスクです。

車を止めてー



しばらく海を眺めてしまいました

名護グスクにしろ、佐敷グスクにしろどうして石積みを使用しなかったのか、気になるところですが、「近くに琉球石灰岩を切り出せる場所がなかった」からだ、と言われています。

まず主郭を目指します。コンクリートの長い階段を見て、ここでも神社を思い起こしてしまいましたが、恐らく御嶽(おたき)などの祈りの場に至る階段だろう思います。この階段の下まで車で行き、あとは階段をひたすら登ります。主郭とされる平場には難なくたどり着けますが、虎口やはっきりと空堀と分る地形等は見当たりません。

主郭(御嶽)への長い階段

主郭にある御嶽

主郭はかなり広いが周辺への広がりは見えない

「堀切」への案内表記があるので、是非見たいとは思いましたが、緑豊かな林の中に一人で入る勇気はなく、寂しく引き返してきました。繁茂する枝葉に遮られて林の中は伺うことも出来ません。『ハブに注意』などと書かれていたらやはり引いてしまいます。

案内坂に示された堀切

土塁かな、とも思いましたが・・・


佐敷グスクでも名護グスクでも、本土の「土の山城」と比べて見たかったのですが、もっと多くの実例を見て回る必要を痛感しました。曲輪だけでなく他にも土塁とか、空堀とか、竪堀などに巡り合っていたらさぞかし楽しかったろうと思います。


0 件のコメント:

コメントを投稿