プサンに出発する直前、『釜山日報』という地元の新聞の日本語ネット版に出ていた記事に興味を惹かれました。
ウルサン市の東端、パゴジン(方魚津)という港町は日本統治時代は漁業で栄え、今も当時の家屋が残る通りを『敵産家屋通り』として整備し観光に役立てようとしている、という話です。街の一角には樹齢1000年と伝わるクロマツがあり、当時出征する兵士はこの木の下に湧く水を飲んで無事の帰還を祈ったという。『龍の木』という、いかにも元気をもらえそうな名前です。
パゴジン港は16世紀ごろの日本人居住地ヨンポ(塩浦)の近くなのも心惹かれた理由のひとつです。ヨンポは現在、現代自動車の工場になっていてかつての面影は期待できません。代わりに近くの港の雰囲気でも味わってみたい、と思いました。
ウルサン倭城を回った後、さてどうやってパゴジン港まで行こうか、バスは無理だろうからタクシーにするか、と考えながらバス停に行くと『ハクソン公園』から直通バスが出ているのです。エエッ、ウソでしょ!
イムランポ倭城からソセンポ倭城へ、さらにソセンポ倭城からウルサン倭城へ、困ったときの「神の手」直通バスがまた舞い降りて、呼んでいます。これで三回目。
というわけで倭城はお休み。
『敵産家屋』に関心のある人だけいっしょに、オイデ。
パゴジン港 |
桟橋に広がる魚介類市場 |
イヌが時折通りを横切るだけで、やたらカモメの声が耳につく、魚臭い活気のない防波堤を想像していたのが大きな間違い。漁船が所狭しと港を占領し、桟橋から続く広場には魚を売る屋台がズラーッとならんでいます。売り子の女性たちの声があちこちから飛んできます。
周りの通りはバスやらタクシーやらが動き回って樹齢1000年は似合いそうにありません。諦めてこのままプサンに帰ろうか、と路地を回ったとたん動物的な感覚で日本が匂います。商店街の通りのカーブの仕方、店の佇まい、どこか表通りの韓国とは感じが違うのです。ほぼ間違いない、と思ったものの自信はない。ちょうど昼過ぎでお腹もすいたので、まずは腹ごしらえ。
カルビタンを食べながら『敵産家屋』というオソロシイ響きの通りと『古いクロマツ』がないか尋ねると、女将がとても丁寧に「お向かいの不動産屋さんに聞いてきます。日本からいらっしゃったのですか?」まじまじと見つめられてしまった。
どうもかつてここに住んでいた日本人が昔をしのんでやってきた、と勘違いされたらしい。そんな歳に見えたか・・・。でも入り組んだ韓国語はできないので甘んじて誤解を受けておいた。
女将は長い間帰ってこないので二三軒回ったのかもしれません。支払いを終えると「すぐそこらしいですよ。」と先に立って案内してくれる。後についてゆくとやっぱりさっき「感じた」通りだった。クロマツの場所も教えてもらった。
とても親切な女将です。頭を下げてお礼を言うと、向こうもさらに頭を下げて「お気をつけて。」 ウルサンって良いところですねぇ。カルビタン、おいしかった。
この女将を見ながらふと思いました。韓国の女性はあまりお辞儀をしないようですね。だからこの女性が特に丁寧に見えたのかもしれません。ふんぞり返って相手をポンポンポンと言い負かす、韓国ドラマによく出てくるコワイ女性はソウルの人にちがいありません。
この辺り一帯に日本の古い家が残っている、と聞いただけ。「これです。」と特定してはもらえなかった。 |
印象だけで確証はありません。 |
どれが敵産家屋かはピンポイントにわかったわけではありません。家屋のたたずまいや通りが醸し出す空気みたいなものだけで、私はナットクしました。うーん、ここを観光名所にするならかなり手を加えないといけないみたいですね。
『噂』のクロマツ |
ウルサン市東区指定の保護樹、推定樹齢1000年 |
クロマツは思ったより小さいので半信半疑でしたが、『龍の木』とかいてあります。何か御利益のある水もあるようなので、ここだと思う。
残念ながら出征兵士の気持ちを思い起こす雰囲気はありません。
ところで帰りのバスから見た光景ですが、延々と続く現代自動車の工場の大きさに圧倒されました。『現代自動車ナントカ門前』というバス停がいくつあったことでしょう。時々通り過ぎる門の中には新車がずらりと並んでいます。港に併設された工場なので新車はそのまま船に積まれて世界各地に運ばれて行くのでしょう。韓国の並々ならぬパワーを見てしまいました。