ヤンサン倭城からの帰り道、夕方まで少し時間があるのでタデポ(多大浦)に寄ることにした。
1592年4月13日にプサン鎮城が小西行長、宋義智らによって陥落した日、秀吉軍の一部が近くのタデポ(多大浦)城にも向かい、陥落させています。その後おそらくはこの城にも兵を置いたとみられています。タデポ城は消滅していますが、石積みが住宅の一部として残っていると「倭城の研究」6号で読んだので、機会があれば見たいと思っていました。
ここがタデポ港 X はプサン鎮城 |
高麗、朝鮮時代を通して倭寇の侵入に悩まされた朝鮮半島では、進入路(港)に城がたくさん作られました。しかし遺構が明確に残るものはあまりないようです。あったとして復元されていたりして昔の面影になかなか接することができません。皮肉なことに倭城の方が不完全とはいえ、遺構を残しています。
石積みの一部であっても見てみたいのと、タデポの街も見てみたかった。
地下鉄が間もなく開通する予定だと聞いていますが、今はまだターミナル駅の「シンピョン(新平)」からバスに乗らなければなりません。10分ぐらい。
タデポ港 |
タデポは取れたての魚のように元気に満ちた港です。狭い道路をバスがひっきりなしに通ります。タデポ城があったところは現在学校になっていて、この学校を取り巻くように石積みがあった、と伝えられています。このあたりだろう、と検討をつけて路地を覗いてみますが、なかなかそれらしい石積みが見えません。
立派な石です。 |
今も役立っているのが良いですね。 |
狭い路地でも公道として使っている場所もあるので、誰かの家かな、と思いながら入ってゆくと、ありました。石積みの方向に目を向け、さらにその先を探すと同じような石積みが見つかりました。それ以上は個人の家の中になるので入れません。ひょっとして目につく以上に遺構が残っているかも知れません。
ユンフンシンを祀る尹公檀 |
石積みだけでしたがオリジナル(と信じて)を見られて充分です。城を守って秀吉軍の襲撃で亡くなった担当武官、ユンフンシン(尹興信)の慰霊碑がすぐ後ろの丘の上にあります。高台にあるので詣でがてら街の佇まいを眺め、帰りのバスに乗りました。
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