2014年12月5日金曜日

停まった時間(6) 因幡鳥取城

11月4日(火)   

まず久松山(きゅうしょうざん、標高263メートル)を目指すことにする。鳥取市内どこからでも見えるので迷うことはない。鳥取城はこの山の頂上と麓にある。天正9年(1581年)吉川経家(きっかわ つねいえ)に対する羽柴秀吉の兵糧攻め、いわゆる『鳥取の飢え(かつえ)殺し』の舞台となったところだ。

山頂に残る石垣は主として秀吉の兵糧攻めの後に作られた。麓の壮大な石垣群は江戸時代の池田家の居住した鳥取城だ。鳥取では『山上の丸』、『山下の丸』と呼んで区別しています。吉川経家の時代には『山上の丸」に土づくりの城塞があっただけです。周辺には当時の遺構も残っているそうです。この山ひとつで城郭の様々な形が観察できるかもしれません。
久松山全景   『山下の丸』から『山上の丸』を見上げる

ズームインすると『山上の丸』の石垣がよく見えます
天守が残っていたらよく見えたでしょうね


私は『山上の丸』に残る秀吉時代の石垣遺構にいちばん興味があるので、『山下の丸』の整然とした石垣は軽く眺めながら真っ先に松久山を登った。

朝7時半なら誰もいないだろう、クマもこの時間ならいないだろう、と高を括って登ること10数分。すでに降りてくる女性がいる。その数分後には70代の男性に軽々と追い越されてしまった。この人は週に2,3回登るそうだが、先程すれ違った女性は『山上の丸』まで往復するのを日課にしているという。皆さん運動を通して知り合いになって行くらしい。『飢え殺し』の舞台が健康志向市民のメッカになっているようだ。
私を追い越して行った男性 こんな勾配が続きます

見上げると『山上の丸』

石垣が2段になっているのか帯曲輪があるのか・・・

朝の運動にはもってこいの傾斜を提供してくれますが、並みの坂ではありません。有子山城には負けますが、汗はタップリかかせてもらった。登ること40分、突然石垣が目の上に現れ、しばし見入ってしまった。ようやく着いた、という安堵もあるが、いぶし銀のようなしぶーい石垣と空の抜けるような青さのコントラストが疲れをふっとばしてくれた。

石垣は『飢え殺し』の後に作られたものだが、江戸期に修復されている可能性もあるでしょう。石は自然石というより、切り出したのかある程度手が加わっているように見えます。秀吉時代からある程度は変わっているだろうが、曲輪の位置や周りの風景はおそらくは同じでしょう。『山上の丸』主郭部への虎口には風格を感じます。

回り込んだら主郭への虎口

こんな高い所に井戸があるのですねぇ

主郭の一角に天守台が残っています。よっこらしょ、と登って目にした眺めにしばし息を飲みました。浜辺に打ち付ける日本海の波まで見えるではありませんか。兵糧攻めの後、鳥取城は秀吉の信任の厚い宮部継潤(みやべ けいじゅん)に任せましたが、天守はその間に作られた、とみられています。関ケ原の戦いの後、鳥取城に入った池田長吉、光正の時代にも引き続き使われています。この間に3重の天守を2重に変えた、との記述が記録に残っているそうです。しかし元禄5年(1692年)、落雷で炎上し、再建はされませんでした。

主郭の北の隅に天守台

天守台の登り口



天守台

眼下に鳥取市街と日本海


主郭を見下ろす(西)   その先は鳥取市の中心

主郭の北西 曲輪跡か

主郭の西 鳥取市街  右手に主郭下の曲輪

『山上の丸』自体、池田長吉の世になっても廃棄されることなく城の一部として使用されました。藩主が登った記録も残っているそうです。ここが出石城とちがうところですが、登城路の険しさも関係しているのではないでしょうか。登るのにロープの助けを必要とする有子山と、毎朝運動に登れるくらいの久松山との違いは大きいと思います。池田家の代々の城主も天守台からの日本海を眺めたことでしょう。
主郭虎口から二の曲輪を見る

二の曲輪  活用されていたのですね

『山上の丸』はあまり広くありません。有子山城より狭く感じました。山頂で望める広さはどこもこのようなものでしょう。詳細な石積み技術についてはよくわかりませんが、規模や洗練の度合は『山下の丸』の洗練された美しさとはとはまったく違います。しかし素朴な力強さと石に刻まれた時間の経過が周りと調和した美しさは、引けをとるどころか、はるかに凌駕しています。

後で鳥取市のパンフレットを見ると、秀吉が鳥取城攻略用に儲けた陣跡が近くのx山に残っていて、ハイキングコースとして整備されているようです。事前に知っていたらきっと予定に入れた、と思うので今回は知らなくてよかった。次回はそちらを目的に来たいと思う。

鳥取市のパンフには片道だけで麓から1時間半と書いてありますから、往復だと3時間。一日仕事ですね。覚悟して出直しましょう。
『山下の丸』天守の代わりをした御三階櫓台

『山下の丸』の広大な石垣


現在大規模な石垣の修復を行っています

麓にある近世の鳥取城は実に美しい。ここも出石城と同じように背後の崖にピッタリと寄り添う形で曲輪が並んでいます。川が自然の堀の役割を果たしている城は多く見られますが、急峻な崖を背にする城は初めてで、しかも二つ続けて見られて幸運でした。興味が増しました。

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