2012年11月7日水曜日

倭城マラソン(7) カドクト(加徳島)城

2012年10月12日(金) 緑のヴェール加徳島(カドクト)城

   カドクト(加徳島)倭城は、地図を見るとプサンの南西のコジェド(巨斎島)との間に位置していて、現在はプサン新港建設のために海が埋め立てられてほぼ陸続きになってしまっている。この島をコジェドへの高速道路が通っているけど、どうも島は素通りしているようだ。


   プサン駅の観光案内所でバスや地下鉄で行く方法を尋ねると「バスはありません。タクシーに乗ってください。」という。島の住民は何に乗って出勤するのですか?と聞いても答えてくれなかった。

   カドクトだけはバスも電車もなくて、困っていた。

   アンコルポ港からフェリーが出ているので、たまには船で、と思っていた所に「バスあり」情報。なるべく電車、バスを使って歩き回ろう、と決めていたので心の中で思わずバンザイ!。

   しかし私が行きたい所に行くバスかどうか、はっきりしない。バスはいわゆるコミュニティーバスで、住民の足として狭い地域をぐるぐる回るタイプなのだ。島ににたどり着いたけど、それからさらに1時間歩くのでは時間がもったい。結局カドクトにいちばん近い街、ヨンウォン(龍院)からタクシーに乗ることにした。

赤い丸が倭城が確認されている場所 緑色は埋め立て地
青い太線は高速道路

   翌日再びプサンからヨンウォンに向かい、ヨンウォン サゴリ(交差点)でバスを降りてタクシーを止めた。往復20、000ウォン、待ち時間を入れて30、000ウォンで交渉成立。2時間半ぐらいチャーターしておよそ2400円ぐらいだ。

   埋め立て地にある工場の資材置き場のようなところをグルグル回って15分くらいで、目的地の小学校についた。倭城はヌルチャ(納次)小学校の裏あたり、とグーグルの地図でだいたいの見当をつけていた。

   ところが裏山に登る道が始まるはずの場所に家が建っていて、番犬が3匹睨んでいる。勝手に他人の家の敷地に入るわけに行かないし、一匹の犬はすでにウーと声を上げている。犬に飛びつかれるか、警察の厄介になるか。ンーン、アキラメよう。

城郭談話会の堀口健弐さん作成の縄張り図を使わせてもらった。
倭城研究シンポジウムⅡ 倭城から複製、加筆




    周りの畑に道は見当たらず、通れそうな所を探りながら登って見上げると、矢竹か篠竹か、細い竹の茂みが見える。近い。茂みは通り抜けられないから、反対側から登ると、足元に石が見えてくる。石を覆っている草の裏に石垣が見えた。

   

   後は石垣に沿って登るだけ。

   


  
   広い畑に出たが、曲輪のようだ。隅に竹がひとかたまりに生えていて、これがさっき下から見えた竹の茂みに違いない。

   



   


私がたどり着いたのはⅡの主郭と見られる曲輪の周りを取り巻く曲輪だ。

   広い。

   前方の茂みがⅠだと思うが、この先は草が多くて歩けそうにない。Ⅲの石垣は帰りに確認できた。

   




   

   カドクトに倭城を建てたのは文禄の役の時で、慶長の役が終わるまで水軍の基地として使用された。築城は毛利輝元と伝えられている。プサンから海沿いにコジェド、ウンチョンにいたる戦略上重要なルート上に位置している。



主郭 東側の石垣



   びっしりと畑に利用されていて歩きにくく、石垣は良好に残っていることは部分的に確認できるものの、この時期は雑草が多く全体像をつかむことが難しい。
   

   主郭をびっしりうめた松の苗木

   




石垣の上手な利用法 上に石を載せて風よけに
この後ろは墓













  

さらにもう一段下にも曲輪

やや下方、離れて石垣が見える

    高速道路を建設する時に削られてしまったのではないか、と心配したが、その心配はないようだ。谷の向こうにさらに大きな山に見え、そこに朝鮮式の城があって、秀吉軍はそこも利用したようだが、今回は諦めて改めて出直すことにした。緑が豊かに繁茂した季節は何も見えない。次は草の消える2月頃に出直そう。   



プサン新港がすぐ目の前
タクシーの運転手さんが偶然地元で生まれ育った人で、朝鮮式の城についてよく知っていた。しかし倭城があるとは知らなかった、と私が持っていた縄張り図を珍しそうに見つめていた。

   ところで帰り道。

   踏みしめた跡をたどると簡単にヌルチャ小学校の裏までたどり着けたが、なんと「あの」家の敷地の中を通っている。番犬もこんどは吠えない。いったい通路に家を建てたのか、それとも敷地を通路として開放しているのか?

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