2012年11月8日木曜日

小西行長様ご一行 間借り

   2012年10月12日(金)

   文禄の役(1592~96)で朝鮮半島に出兵した秀吉軍は、始めの頃は朝鮮軍の邑城(ゆうじょう、城壁で囲った中に町ごと一般人を含めて住んだ、城塞都市)を使用した、と見られている。また日本式の城を築いた後も続けて使用する場合もあったようだ。
   
   ウンチョン(熊川)邑城もその一つで、石垣の一部が残っていたが、城門と城壁が最近復元された。一時的とはいえ、小西行長軍がどんなところに駐屯していたのか興味がある。途中下車して見に行った。

   


   ヨンウォン(龍園)からバスに乗って、10分ぐらいだろうか。すぐとなり。

   








   日本の「城」とは違って、そっくり街ごと入っていた、ということは「街を占領した」ということになるのだろうか?敵の城を落として、そこに入る、とは違うような気がする。それとも単純に城に「間借り」した?





   威圧的で巨大な城壁にちょっと驚きもし、実体にそぐわない気がしないでもない。

   しかし調査と資料によって正確に復元した、という。でもキレイすぎる。写真で見るかつての遺構は石の形と石積みの荒々しさにパワーと風格があったように思う。私たちが考えるほど韓国人は「当時の姿、形」にこだわらないのかもしれない。

   






   風のさわやかな昼下がり。楼閣に登っておやつの時間です。
   
   

案内版の説明
ウンチョン邑城の模型  チネ博物館

ここから1キロくらい先のチェポ(齋浦)はかつて15,16世紀に日本人居留地があり、この城が日本人の動きをチェックするためであった、というのは面白い。チェポにはチェポ鎮城があってしっかり港を警備していたであろうに、ここでもチェックしていたとは。

   
   倭寇とか、朝鮮半島にあった日本人居住地を通しての取引は、日本史の時間に詳しく教わった記憶がなかったので、新鮮な驚きだった。「三浦(サンポ)倭乱(1510年)」とは齋浦、釜山浦、塩浦(ウルサン)にあった日本人居住地で起きた反乱のこと。

前方の左側の山頂にウんチョン倭城
右側の山の右裾にチェポがある


   ここからウンチョン倭城までは歩いて40分はかかる。

   


   倭城歩きでは一番の難所。小さな街でタクシーが捕まらないのがさらに困る。

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