2012年10月24日水曜日

倭城マラソン(2) コソン(固城)城

2012年10月8日(月) 固城(コソン)で出会った石垣


     コソンはプサンからバスで2時間、マサン(馬山)から少し南に下ったところにある。秀吉が再度出兵した慶長の役に倭城が建てられたが、ほとんど消滅したと言われている。せめて場所だけでも・・・見たい。

慶長の役に建てられた倭城はウルサンから
スンチョンまで長い海岸線に沿っている 
コソンは小伽倻の都でもあった。

   3世紀から6世紀にかけて日本と密接な関係にあった金官伽倻、大伽倻、安羅伽倻などと並ぶ小国家群のひとつ。今は否定されたが1980年代に韓国の前方後円墳として話題を呼んだ『松鶴洞一号古墳』もある。どんな姿をしているか見てみたい。ちょっと寄り道。

   


   


   古墳はバスターミナルからもよく見える。「寄る」距離でもない。

   







   昔の写真を見ると確かに前方後円墳に見えるが、周りの円墳と合わせてきれいな公園に整備された今、どう見ても前方後円墳には見えない。



     
1999年から韓国の東亜大学が行った調査によって前方後円墳ではなく「3つの円墳が重なったものだったことが判明した」と英語と韓国語によるかなり詳しい案内板が立っている。

   コソンはのどかで小さな街だ。ぶらぶら歩いて12,3分で中心部に着いた。倭城があった場所について事前の情報はない。犬も歩けば、何か見つかるだろう。



   街中は曲がりくねった迷路のような狭い道が続いていて、いかにも古い町、という雰囲気。どうやら同じところを堂々巡りしていたようだ。さっき通ったあの道は、さあ、どこだったやら。

   


     


   やたら家の基礎部分に石積みと思われる部分が多いので、たどって行くと・・・ありました。








   日本式の石垣と思えるものが部分的に残っているものの、曲輪の輪郭はうかがえません。石積みによっては朝鮮式かな、と疑われるものもあるが、素人では判断できません。コソン倭城は朝鮮式邑城に併設して建てられた、と聞いている。



    朝鮮式石塁が残っている、と地図には書いてあるので行ってみたが何もない。案内板があるが、石塁は下に埋もれているのかな。


   石垣だけは数か所、かろうじてかつての姿を残しているが、邑城も倭城も形は失われてしまったようだ。

   (コソンへはプサンのササン(沙上)バスターミナルからかなり頻繁にバス便があります。ほとんどマサン(馬山)経由です。5020ウォン(約400円)。近くに恐竜の足跡があって観光地としてにぎわっています。最近博物館もできました。私は知らずに行きそびれましたけど。)

   

   

2 件のコメント:

  1. 固城倭城は朝鮮式の邑城を一部再利用して造ったのです。 したがって、와のような朝鮮式の特徴がそのまま残っています。 写真の石垣は倭城のものだと思います。
    http://panzercho.egloos.com/11080831
    参考にするといいと思います。

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  2. ありがとう。また行かなくては。

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