2013年12月31日火曜日

倭城マラソン(17) イムランポ(林浪浦)城

12月11日 火曜日 午後   消え入りそうイムランポ(林浪浦)倭城


X印(下)はキジャン倭城 X印(上)がイムランポ倭城
近いですが、各駅停車のバスなのでかなり時間がかかりました。

昼過ぎにキジャンに戻るとまだ午後の一時。



昼食をとってもまだ時間に余裕があるので(韓国の食事は注文したらすぐ出るのがうれしい)近くのイムランポ(林浪浦)倭城にも寄ってみることにした。



バスの横腹に運行ルートが大きく書いてあって漢字表記もある。「林浪」と読めたのでとりあえず乗ったら40分ぐらいかかってしまった。


この城くらい見捨てられた倭城は知りません。道がないのです。眼前の山頂に石垣の一部と思われる石が見えているので目指してみます。

2011年の3月ですから約3年前に来た時に、近くの店で教えてもらったルートを思い出しながらたどりました。畑の畦道を縫いながら鉄道線路(単線の東海南部線)を越え、上に向かって伸びる舗装道路に取りつくまでは良いのですが、その先の50メートルほどは適当に城跡の方向に向かって歩くしかありません。雑草と枯れ木を迂回しながらひたすら登るだけです。城のどこに出るかは着くまでわかりません。



この城は土地の管理がされているのかいないのか、10年以上前にあった火災の後が今も残っていて、焦げた木切れがあちこちに転がっています。だれも草を刈らないのか、4年前より状況は悪くなっているようです。歩けません。

石垣はさらに崩壊しているようです。積まれているというよりは転がっているだけ。歩きながら「ここは城のどこの部分だ?」と自問するばかりで位置を確定する目印になるものがありません。
比較的石垣が残る虎口
石垣は残ってもこの程度
搦め手から主郭への虎口 石垣は健在ですが、枯葉に埋もれて見えません。

海側からの攻撃を想定したのでしょうか虎口がユニークですね。
倭城シンポジウムⅡ「倭城」から堀口健弐さんの縄張り図をコピーして使用

倭城はほとんどが総石垣の城ですが、古い山城時代の空堀、竪堀、堀切を同時に使っているのが日本国内に残る城跡とは違うところです。キジャン倭城でもよく見ましたが、ここも搦め手と北側の虎口に堀切が残っています。
搦め手から堀切(中央の窪地)を挟んで主郭方向を見る

その堀切
竪堀も残っています。


きょうは搦め手から主郭、天守をめざしてみよう。

残念ながら石垣の崩壊は予想以上です。ようやく見えてきた天守台には枯れ木と枯草に阻まれてなかなか近寄れません。

3年前の写真を参考までに載せます。今よりよく見えるでしょう?
天守台の前にあるやや複雑な虎口の遺構 平成23年3月(約3年前)

天守台 平成23年3月(約3年前) 歩きやすく縄張りが見えた。

九大「倭城祉図」のイムランポ倭城 麓の居住区の方が大規模ですね。
戦より駐在することが重要だったのでしょうか。

おおまかな城の立地状況はキジャン倭城とほぼ同じです。海岸線を取り込むように山上から麓までを城に取り入れていますが、登り石垣は見られません。背後の尾根と北側は堀切で断ち切っています。九大「倭城祉図」には山麓の曲輪も表示してありますが、もう消滅してしまったようです。麓の陸の小島状の高台にも遺跡が残る、と聞いたので前回回ってみましたが、ゴミ捨て場になっていました。
山頂曲輪から見るふもとの居住区

眼前の海ぎわに街道が通るとともに、海でプサンとつながっています。城の規模はキジャンほど大きくありません。しかし文禄の役当時は一番東側に築城されたソセンポ(西生浦)倭城とプサンをつなぐ重要な任務があったとみられます。
今回見た天守台 荒れ果てた感じが痛ましい。


築城は文禄二年(1593年)、毛利吉成の名が伝えられています。ここの天守は奥まった場所にあって、麓からは見えにくい半面、海上からは良く見えたのではないでしょうか。灯台の役目も果たしていたのかな、と考えたことを思い出しました。今は城の面影すらなくなりつつあるようで、勝手なな想像すら楽しめません。イムランポ倭城はこのまま土に戻ってしまうのでしょうか。
城跡から見た林浪の街とコリ原発

イムランポ倭城に行く機会があればぜひ見てみたいものがありました。コリ原子力発電所です。ここから目と鼻の先にコリ(古里)という町があって、韓国ではじめて運用された商業用原発があります。古いうえに事故を隠ぺいしていたことが発覚して昨年営業停止になりました。再開されたものの別の問題が発覚して再度ストップしたようですが、今はどうなっているのでしょうか。日本でも小さく報道されたことはありますが、その後は耳にしません。韓国の発電所だからでしょうけど、ここは日本からきわめて近く、もう少し関心を持ってもいい距離です。

いま韓国では日本から輸入した魚が売れないだけでなく、魚自体が売れなくなっていて漁業関係者や食堂に大きな影響を与えています。「日本産使用せず」と表示した店もあるそうです。もちろん福島原発の風評の影響です。遠い福島のことで魚そのものを食べなくなってしまう国と、原発に関する問題がすぐ近くに起きても国が違うから、と関心すら払わない国。両方とも極端ですよね。ちなみに風評をもとに日本産の魚の輸入を禁止した韓国を日本はTWOに訴えています。

判定はどう出るのでしょうか。

前回来た時に『原発です。』と言わんばかりの形をしているので、気になっていました。韓国関係のニュースで「コリ原発」ということばがあったら、イムランポ倭城を思い出してください。

対馬から100キロも離れていないのではないでしょうか。

倭城と現代がこんな形で結びつくなんて誰が一体想像できたでしょうか。


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