2021年4月4日日曜日

沖縄の戦国時代① 首里城

沖縄が本土と離れた歴史的時間を経て来たことは知っていました。しかしその歴史の時代区分に『グスク時代』というのがあることまでは知りませんでした。グスクとは『城』のこと。ならば『グスク時代』とは『城時代』、ひょっとして『戦国時代』?

沖縄にも戦国時代があったってこと?

15年前に沖縄に旅行したことがあります。ぶらっと入った那覇の書店で高校用の社会科の教科書を買いました。沖縄の歴史を読もう、という気持ちで購入したのですが、腰を据えて読んだのは最近になってからで、15 年経っていました。



 『グスク時代』に出会ったのはこの教科書の中でした。

琉球が3つの地域(北山、中山、南山)に分かれて覇を競い、やがて中山が那覇に統一王朝を打ち立てるまでをグスク時代と総称しています。按司(あじ)時代、と呼称した時もあるようです。按司とは、本土なら領主とか国人に相当する、土地の指導者をさすことばです。グスクは按司の館であり、砦をさすことば、まさしく「城」です。

12世紀から15世紀にかけての約300年間であって、本土では平安時代末期から南北朝時代の終わり頃までに相当します。

ところでグスクには軍事的な『城』以外に祈りの場として宗教的な意味も兼ね備えています。ほとんどのグスクには祈りの場が設けられているのです。ここが本土の「城」とは違う、独自の側面です。

いまでも沖縄に多数のグスクが残っていることを知り、「美しい石垣」をたくさん見たいとの思い昨年(令和2年)の秋、コロナ禍が和らいだ一瞬に、3日かけてグスク巡りにでかけました。

はたして沖縄の戦国時代は本土の戦国時代と同じなのかどうか・・・。


那覇空港から一番に駆けつけたのはもちろん首里城。効率よくなるべく多くのグスクを訪ねたいので、レンタカーを使いました。

守礼門

やはり訪れる人は少ない (令和2年11月)

2019年10月31日、「首里城炎上中!」という信じられないニュースを聞いた時の驚きはまだ記憶に鮮明に残っています。第一尚氏王朝に始まり、尚王朝が終わる19世紀末までおよそ450年に亘って沖縄を代表するグスクとして機能した、グスク中のグスクです。

今回首里城を訪問したのは火災から一年が経ったころで、焼け跡の処理はすでに終わっているようでした。大きなクレーンがかえって場違いな印象を与えたくらいです。


御庭(うなー)とその先に正殿への階段

火災探知装置が十分に作動しなかったためもあり、木造建築である正殿は瞬く間に火が回って崩れ落ちてしまいました。「防災体制が不十分」であり火災の原因は不明、と県は今年(令和3年)の春、調査結果を公表しています。

ちなみに首里城はこれまで1453年、1660年、1709年、1945年の4回燃え落ちていて、今回が5回目だそうです。1945年はもちろん第二次世界大戦中のアメリカ軍の攻撃によるもので、1992年にようやく再建されたばかりでした。

首里城再建は政府によって2026年までにやることが決まっていて、現場では再建作業をそのまま見せてくれています。歩行ルートに沿って、焼け落ちた建物の礎石なども見られるようになっています。

正殿の礎石

火災の跡も

その中で私がいちばん見たかったのは現存する古い首里城の石垣です。今回燃え落ちた正殿の地下にはかつての建物の石積み遺構が残っていて、正殿の姿が消えたことで、ガラス越しですが直接目にすることが出来るようになっています。

ちょうど正殿の真下に


古い石垣がガラス越しに見える



建物の焼失による衝撃は言うまでもありませんが、このオリジナル石積みがある限り首里城の歴史的価値は不変、ということです。焼失したのはあくまでも復元建築物なので、世界遺産としての価値に影響はないそうです。

コロナ禍も重なって観光客は減り、かつての賑わいがウソのようでした。専用駐車場は信じられないくらい車が少なく、ガラ空きに近い感じでした。ただ人の数が減ったことでグスクとしての形がよく見えたのは不幸中の幸いでした。東側の高台にあるアザナ(物見)から西側を見て首里グスクの広さを実感することができました。

東のアザナから西方を見る










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