2021年4月4日日曜日

沖縄の戦国時代② 今帰仁グスク

石積み、石垣しか残っていないとはいえ、600年も前に造られたものは雨風、台風といった自然の影響だけでも形は崩れてしまい、原形をとどめるのは容易ではありません。さらに沖縄は第二次大戦中アメリカ軍の集中的な砲撃を受けたためその影響は計り知れません。私たちが今往時のグスクを目にすることができるのは、第二次世界大戦後に進められた修復作業のおかげです。

首里城の次に訪れたのは今帰仁(なきじん)グスク。修復作業中の石積みも見ることが出来ました。

外郭から見た大隅(うーしみ)の石垣

外郭を取り巻く石垣 長けは低め

修復作業は今も続いていますが、かつてのグスクの威容はすでに取り戻しています。築城は発掘調査の結果、13世紀末と見られています。標高約100メートルの山塊に位置し、首里城に負けないくらい大きなグスクです。


①外郭   ⓶平郎門  ➂大隅(うーしみ)兵馬訓練所   ④カーザフ   ⑤旧道    ⑥大庭(うーみゃ)  ⑦御内原(うーちばる) 城内の御嶽   ⑧主郭         ⑨志慶真門郭(しげまじょうかく) ⑩クバの御嶽   ⑪ムーミングスク   ⑫集落跡 


今帰仁グスクは1416年に中山の尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされるまで北山の中心だったグスクです。この戦いにはこの後何回か名前を聞くことになる護佐丸(ごさまる)も尚巴志側の一員として戦闘に参加しています。                      
                      
グスクの正門、平郎門  
ずっと奥に続く道は近世になってからのもの


昔からの旧道はこちら
門を入ってすぐ横にあります

平郎門の天井に一枚岩
修復の際に付け加えたもので実際は不明

時代は下って1609年、琉球王国に軍事介入した薩摩藩が奄美諸島を伝って那覇の首里城を目指した際、初めて落とした城がこの今帰仁グスクでした。                

当時の今帰仁グスクは首里城の第二尚王朝の監守が管理していました。近くの運天港に上陸した薩摩軍は今帰仁グスクを完全に破壊したと伝えられています。この時に廃城になった、と見られています。

大庭(うーみゃ) 種々の行事を行う

御内原(うーちばる) 
女官の生活の場所  神聖なる場所とされていた





主郭 グスクの中心的建物があった

建物はもちろん残っていませんが、石垣と青い海だけでグスクの美しさが味わえます。那覇からおよそ85キロ。バス便もあるそうです。私は高速を使いましたが、下道を走る区間が多いので1時間半ぐらいかかりました。那覇市内と名護市内はかなり道路が込みますので、車をご利用の方はご注意を。

ところで沖縄のグスクはほとんど琉球石灰岩でできています。サンゴ礁からできた岩石で沖縄自体がこの岩石で出来ていると言っていいくらい、入手しやすく、細工がしやすい素材です。しかし今帰仁グスクだけは古期石灰岩と言われる石で、琉球石灰岩に比べて固いのが特徴で、その分荒々しさを感じさせる、と言います。

御内原(うーちばる)から見下ろした大隅(うーすみ)   
       戦時に備え馬を養い、兵馬を訓練した場所と伝えられる          

志慶真門郭(しげまじょうかく)から主郭を見上げる

大隅(うーすみ)と周囲の石垣


外郭の低い石垣と修復される前の石垣










0 件のコメント:

コメントを投稿